かわいいものについて語ること【ちいかわ】【ハチワレ】
こんばんは。
昔からかわいい生き物に目がないんです。
ぬいぐるみってふわっとして、モフモフしてホッとしますね。
小さな頃は、プーさんやE.T. なんか愛でていたような気がします。
大人になってからもかわいいものは”実は”好きなわけで。
(あまり大きな声じゃ言えないですけど。まだまだ市民権は無いとです。)
絵面的には確かに、まあ。。。
でも、好きなことには違いないです。
最近は夫婦でナガノさん著の「ちいかわ」にハマっています。
ゲームセンターやお店でグッズを見つけては、ついつい買ってしまいます。
買うというより、お家に迎え入れる、といった感じが正しいですかね!
今日紹介するグッズは【ちいかわ】に出てくる”ハチワレ”というキャラクターの
ぬいぐるみです。
先日ゲームセンターで奇跡的にgetすることができました。
、、、お家に迎え入れました。
景品にしては、綿がミチっと詰まっていてギュッとしています。
なかなかのくおりていです。
等身、質感ともに世界観から抜け出したかのような再現度です。
秀逸なのはしっぽの造作でしょうか。
ここは綿がミチっとしていないので、しっぽがふりふりできるわけです。
そう、ふりふりできちゃうんです。
これによって、無生物感のあるぬいぐるみに生物感もとい感情が生まれる。
ような気がするんです。
このような、作り込みの引き算によって持ち主はモノに対し
感情移入できるのでしょうか。
特にこのぬいぐるみは常に笑っているので、こういった造作はポイント高いですね。
顔部分の刺繍部もしっかりとした作りなのでほつれの心配もなさそうです。
チャームポイントの一つである。麿眉もうまく再現できていると思います。
シンプルなデザインであるがためにバランスが大事ですよね。
総じて、再現度が高く納得のいくものだと思いました。
気が向いたら、またかわいいgoods紹介してみようかと思います。
では!
【徒然日記】久々の投稿ッ
今週のお題「赤いもの」
こんばんは。
久々の投稿をしてみようかと思います。
僕は元気です?多分。
変わったことといえば、晩酌を週末だけにしたことでしょうか。
なんだか睡眠の質が落ちていた、ような気がしていたので。
結果、睡眠の質は変わらないですが体の調子はいいみたいです。
吹き出物の新規受注中数は少しだけ減ったような気がします。
さて、今週のお題。「赤いもの」
ウーン、赤ニキビは嫌いです。痛いもの。
色としては赤って好きです。
特に小物なんかには積極的に赤色は取り入れています。
僕の携帯(携帯ってもう言わないですかね?)
もといスマフォのiPhone12miniもREDです。
あとは手帳カバーも赤色のものを使っています。
充電ケーブル、靴下も赤多数。。
洗濯ものを干すときはどの組み合わせが正しいか迷いがちですが
オーナーにはわかるんです。
赤い上着も着ます。
世間的には赤い服って派手色みたいですけど、
あんまり気にしないですかね。
似合う似合わない関係なしに、気に入ったアイテムなら取り入れてます。
服装の参考にアメリカ映画とか参考にするので雰囲気重視でしょうか!笑
あ!!背景に写っているマットも夏用だから、週末に変えよっと。
自分自身で赤を取り入れるものってそんなところでしょうか。
乗り物の赤って特別な感じがするので、自分では乗らないです。
やっぱエースカラーですしね。
やっぱり、シャア好きですし!
ネクラはつらいよ 望郷篇
睡眠について語ること
今日は四月並みの気温だそうだ。薄手のアウターを着て外に出かけても肌寒さは感じないため、春はすぐそこなのだろうかと感じずにはいられない。待ち遠しい反面、春は少し苦手だ。その季節は諺にもある通りとにかく眠いのだ。
件の季節は身体が、精神が睡眠を欲して仕方がなく、まるで睡眠ジャンキーのようだ。
僕は寝ることが好きだ。若い頃は徹夜や夜ふかしをしてもなんとか翌日は持ちこたえられたが、今はそうはいかない。それについては、年齢も重ねたこともあるだろうが。経験や知見を重なることはできるが、反面失うこともややあると感じる。
何事でもリセットするには睡眠が必要だ。特にここ数年眠りが浅くて閉口する。時間は十分にとっても夜中に目覚めたり、変な夢を見て疲れが取れる実感が無い。やはり、最も体調がリセットされるであろう時間は万全の状態で寝て八時間から十時間ほどの間だろうか。就寝は早めに越したことはない。許されるのであれば、十時過ぎには床につきウトウトしていつか訪れる睡魔の存在を身近に感じていたいものだ。
よく深い眠りについて「泥のように眠る」と言われているが、語源についてはこうだ。中国では「泥(デイ)」と呼ばれる想像上の生き物が海の中で生活しているが、陸上にあがるとあまり活動的ではない。疲れ果てて眠りこける様からそう言われているそうだ。ほう、そんな想像上の生物がいるのか。語源とは調べてみるものだなと。調べる前にイメージしていたのは睡眠という行為が土が雨を含んで
泥になるさまを例えといたのだろうかと思っていた。
睡眠のプロセスについて考えてみる。ちなみに僕はベット派だ。ベットに体重を預け、静かに瞼を閉じる。ベットに身体が沈み込み、次第に体重を感じなくなる。徐々に布団は体温を吸い、暖かく「ふわふわ」とした塩梅に仕上がってくる。瞼の裏ではクリオネや小魚のようなものがゆっくりと踊っているように見える。次第に匂いが薄くなり耳が遠くなってくるような気がする。その段階で意識はほとんど遠のいている。昔読んだ吉行淳之介の小説であった布団の国へ誘われている。この気持ちよさといったら無い。この段階で口を開く気力もない。身体が、体重が雨でゆっくりと染み出しているような感覚だ。おやすみなさい。
世の中は日々進化している。
情報が常に更新され、それも手軽に手に入る環境下にいると目や脳がつねに酷使しているようだ。肉体的ではない、なんらかの酷使を常にしているような気がする。
睡眠はそれらから開放されている神聖な行為のような気がしてきた。
今日は早く寝よう。
新 ネクラはつらいよ
今日は大雪だった。
県内の一部地域では積雪量が二月の観測史上記録を超えたというニュースを耳にした。一日中非常に風も強く雪がドカドカと降っていた。ずっとホワイトアウトの状態に陥り、視界不良のために帰り道は普段の三倍ほど時間を要し閉口した。
また、風が強いのは殊更と体に応える。年々、寒さに対する耐性が失われているような気がする。少しの時間だが、除雪のために外にいるだけでも骨身に染みる。こんな冷え切った体を温めてくれるものはなんだろうか。熱燗を「クイッ」といっぱいやるのもいいがそれだけでは物足りない。(どちらかというと冷酒のが好きだ)
、、、、最近楽しみにしていること、それは風呂だ。
先日から自宅のお風呂の設定温度を四十度から四十二度へ設定変更した。
以前の設定温度でも過不足はなかったのだが芯まで温まるには時間を要した。かつて江戸っ子の長風呂は無粋とされていたらしい。背景にあるのは、江戸時代は公衆浴場で風呂に入る習慣があったので、熱めの風呂にサッと入って回転率を上げる意図があったのだろう。現実的な理由はそんなところだろうが、そこは武士は食わねど高楊枝である。
お風呂に入るのも流儀がある。それは、温泉や銭湯だけではない。自宅の風呂に然り、だ。確かにコロナの影響もあって久しく公共浴場にはいっていない。確かに、公衆浴場などは広々とした浴槽や露天風呂、サウナなど枚挙にいとまがないほど充実したユーティリティを兼ね備えている。しかしながら、自宅の風呂で心の底からリラックスして浴槽に浸かるのも悪くないものだ。むしろ自宅こそ誰かの視線や気配を感じないだけ気兼ねなく楽しめるというもの。これぞまさに箱庭といった風情である。まさに日本人が享有している精神の一つである。
まず体を洗い、浴槽に浸かる。温まりきったら、顔や髪を洗う。体の火照りがあるなら、クールダウンする。水風呂なり水をかぶったのち、浴槽に浸かるとまたフレッシュな状態でただただ気持ちよさを享受できる。その度合いは四十二度のが気持ちいい気がする。この一連の流れは自宅でも公衆浴場でも同様だ。サウナに入ってもこの流れが最も好きだ。クールダウンした身体に暑い湯ががパチパチと染みる。そんな感覚を楽しんでいる。
週末はカラカラになった喉をビールが潤すこともあるかもしれない。身体の中も外も熱くなったところにキンキンに冷えたビールを流し込む。これ以上の至福の時間はあるだろうか?自宅だとそれが気兼ねなく達成できる。
なんと素晴らしいことだろうか。
フーテンのネクラ
【瘋癲】ふうてん
・精神疾患
・定職を持たず街中をうろうろする様
このワードの意味はどちらかというとネガティブな意味合いが強い。
ただし、男はつらいよの効果で“フーテン”という言葉には、旅から旅への自由気ままな暮らしを送る様という意訳が付く事となった。”フーテン”とは寅さんのもつ心優しいイメージと身悶えするような難儀な感じあって奥ゆかしい。従来のネガティブなイメージは寅さんによって払拭されたと言っても過言ではない。
ひょんなことから、認識や言葉の意味というのも変わったり付与されたりするものだ。
僕の認識を変えたいものはたくさんあるけど、
、、、、食べ物の好き嫌いだろうか。
そのもののイメージを変えるというのは難しい。
子供の頃から僕にとって苦手な食べ物はヌメヌメ、ネバネバしたものだった。なめこ、オクラ、山芋などといったものは全て苦手だ。
例外がひとつあるとすると、納豆だ。それもひき割り納豆だ。秋田県ではメジャーな納豆だが、全国的には知名度は今ひとつだろうか。学生時分は都内で生活していたがスーパーの納豆コーナーを篤と探してみたが、ついぞ見つけることは叶わなかった。なぜ、ひき割り納豆には苦手意識がないのだろうか。子供の頃に食べていた納豆巻きの影響だろうか。苦手と意識する以前から食べていたからそういうネガティブな意識が薄いのかもしれない。
さて、苦手な食べ物たちである。なぜ、イメージを変えたいかというとこれらの食材を用いた料理というのは世の中に数多と存在するから遭遇するケースが結構多いのだ。例えばでかけ先の田舎の温泉宿に泊まったとしよう。それも季節は秋と仮定する。その宿は山奥にある秘湯といった塩梅で湯治をメインに過ごすのだろうが、料理もなかなか。秋といったらきのこ。そんな宿ではきっときのこ汁が提供されるのだろう。もしかしたら、和え物でもなめ茸が控えていて、夏に採れたオクラ料理も提供される可能性があってヒヤヒヤしてしまう。僕は夜中に宿のカップラーメンを食べる羽目になるのではないか。つまり、このような食材が苦手だと実生活で不具合が生じてしまう。アレルギーで食べられないわけでもなく、ただただ苦手なのだ。
もう一つ弊害がある。意外とこの手の食材を好む人が多いということだ。妻にしかり、実家の母もこの手の食材が大好物なのだ。一緒に暮らす人の食生活にも影響すると思うと多少は煩う。僕自身は、じゃがいも料理が好きだ。フライにしても美味、蒸しても煮ても美味だ。さて、そんな芋が嫌いな人が側にいたらどうだろうか。食べることも煩わしくなってしまうのかもしれない。僕自身が苦手なことでそれが家庭の食卓が負のスパイラルに陥ってしまうのは本意ではない。ある日急に克服できる類でもないので、どうか僕に気にせず思うがまま食べてほしいと切に願う。
色々考えながら書いていてもあの類の食材がなぜ苦手なのか言語化できずにいる。おそらく、それは「嫌い」とうイメージなのではないだろうかと無理やり結論づける。ただし、そのイメージを払拭するのは易しくない。曲がりなりにも三十数年もそれを続けてきたのだから。そんなきっかけが寅さんみたいにひょっこりと訪れるなんてことがあったら面白い。
続 ネクラはつらいよ
先日、久々に書いた日記で妻の万年筆デビューについて少し触れてみた。デザイン、ペン先は決めることができた。次にきめるべきこと、それはインクだ。
インクひとつ選ぶことも実に難しい。選ぶ時の気分や季節に影響されがちだ。とりわけ、初めての万年筆となったら何を選ぶべきか躊躇うものだ。少なくとも僕はそうだった。しかし、その戸惑いも楽しめるのが趣味というものだろうか。棚の端から端まで眺めて、悩みに悩みを重ねていても苦にならなかった。まず、好みのインクを入れるためにインバーターを別途購入することにした。セーラーのコンバーターは吸入ノブ(ねじみたいな部分)が何色か選ぶことができるので、青系のインクを入れたら映えるのではないかと思い、黄色のノブのコンバーターを選んだ。黄と青の組み合わせだと、スウェーデン国旗みたいでかっこいいな、と思っていたのは言うまでもない。 さて、いよいよインク選びだ。やはり、万年筆特有の濃淡も楽しめて清らかな色といったら青系だろうか。やはり、青色インクというのは独特な魅力がある。
その前に僕が持っているインクのおさらいである。これによって、今回選ぶ色への影響が少なからずあるからだ。現在、使用している万年筆三本に対し三色のインクを持っている。すべてパイロット社の「色雫」というシリーズのインクだ。日本の情景に関連したインクを世に送り出している。これがまた美しいボトルと題名なのである。このシリーズをいろいろと試したくて複数の万年筆を使用しているといっても過言ではないかもしれない。ブルーブラックに近いが確かに言われてみればこの名前が一番しっくりくる「月夜」。エメラルドグリーンのような「孔雀」。あとは「竹林」といった按配だ。つまり、これらと被らず、かつ自分の好みにあったインク選びをするという繊細な行為をしなければならないのだ。
ただ、存外自分の好みのものというのはあっさり見つかってしまうことがある。これは、趣味を始めるときにありがちなのだが不思議としっくりくるようなアイテムとの出会いがあるものだ。そういう時の趣味は幸先がいい。同シリーズの淡いブルーの「露草」というインクを購入した。
購入して以来、「何でもノート」にメモやらいろいろとペン先を走らせているそうな。楽しんでいるみたいで嬉しい。
ネクラはつらいよ
こんばんは。今年こそは、とか目標や絵空事にすぎないことを思い浮かべる一月って嫌いではない。手帳も新しくなって、真新しい質感の紙にインクを滲ませるのも悪くない気がする。そうそう、僕の手帳は一月始まりなのだ。仕事で使うなら四月始まりのが使いやすいのだろうが、僕は今の手帳が気に入っているので手帳に合わせて書く行為を楽しんでいる。ノートや手帳なんかは新品でもそうでなくても書き心地は変わるはずがないのだが、なんとなく真新しい紙にインクを落とす行為は新鮮で楽しい。真新しい紙に年を越した新鮮な気持ちで目標なんか書いてみたり、こういう時は日本人なんだな、と思う。
先日、妻が万年筆デビューした。きっかけは、ひょんなことだった。僕が万年筆で書く欲に駆られ新たなノートを求めに文房具店に立ち寄った時のことだ。そのお店は事務用品を中心に、ペン、ノート、万年筆など様々な文房具が所狭しと陳列されている。文具好きには、さながら大人のハローマックといった風情だろう。会話の中で、何かの弾みで言っただけなんだろう。「万年筆に興味あるんだよねえ。」と言ったことは、僕にとっては嬉しくもあり少し驚くべきことだった。「はじめての万年筆は買ってもらったほうがいい。」と思うのは僕の変な癖だろうか。ものにはきっと魂が宿るから、貰い物の方が思い出も残るし大切にするだろうから。
さて、はじめての万年筆選びの開始だ。妻の懸念は筆圧が強いこと。万年筆というのはペン先へのインクの毛細血管現象でインクが伝わるのであまり筆圧が必要とならない。高級万年筆で使われる金ペンなんかはあまりにも筆圧が強いとペン先が開いてしまって故障の原因にもなるケースがある。日本で万年筆が多く普及したのは筆を使用していたことも関係するのだろうか。そういう、心配の種もあるので最初はエントリーモデルの鉄ペンがふさわしいと思う。ガシガシと使うこともできて、かつ万年筆特有のヌラヌラとした感触も楽しめる。
店先にあるサンプルを使っていろいろなペン先を試してみる。擦れる試供品もあるので閉口したが、何となく好みのペン先を見つけたようだ。試すうちに気がついたのは、ある程度は細めのが好みらしい。ある程度細めというのは曲者で、こればかりは試してみないことには感覚が掴み辛いものだ。その情報を得て、国産のペン先のが気に入るのではないかと思った。厳選した結果セーラーのMF(中細)にした。国産の特徴なのか、セーラーの特徴なのか中細といってもドイツメーカーのそれと比べると結構細い。さすが、国産メーカーの気概を感じる。モデルはプロフィットジュニアのクリアにした。コンバーターをつけて、好みのインクを入れたら洒落ている。僕自身、次に万年筆を買うときはクリアにしようと思っていたので、その嗜好をそれとなく勧めた。
そうそう、今日の日記から記事作成も含めて縦書きでやってみることにした。PC版は縦書きのデザインを導入した。
縦書き、横書きもどちらも面白いし奥ゆかしい。それぞれの様式で言葉の選び方が違う気がする。飽きるまではしばらく、縦書きをやってみようと思う。