フーテンのネクラ
【瘋癲】ふうてん
・精神疾患
・定職を持たず街中をうろうろする様
このワードの意味はどちらかというとネガティブな意味合いが強い。
ただし、男はつらいよの効果で“フーテン”という言葉には、旅から旅への自由気ままな暮らしを送る様という意訳が付く事となった。”フーテン”とは寅さんのもつ心優しいイメージと身悶えするような難儀な感じあって奥ゆかしい。従来のネガティブなイメージは寅さんによって払拭されたと言っても過言ではない。
ひょんなことから、認識や言葉の意味というのも変わったり付与されたりするものだ。
僕の認識を変えたいものはたくさんあるけど、
、、、、食べ物の好き嫌いだろうか。
そのもののイメージを変えるというのは難しい。
子供の頃から僕にとって苦手な食べ物はヌメヌメ、ネバネバしたものだった。なめこ、オクラ、山芋などといったものは全て苦手だ。
例外がひとつあるとすると、納豆だ。それもひき割り納豆だ。秋田県ではメジャーな納豆だが、全国的には知名度は今ひとつだろうか。学生時分は都内で生活していたがスーパーの納豆コーナーを篤と探してみたが、ついぞ見つけることは叶わなかった。なぜ、ひき割り納豆には苦手意識がないのだろうか。子供の頃に食べていた納豆巻きの影響だろうか。苦手と意識する以前から食べていたからそういうネガティブな意識が薄いのかもしれない。
さて、苦手な食べ物たちである。なぜ、イメージを変えたいかというとこれらの食材を用いた料理というのは世の中に数多と存在するから遭遇するケースが結構多いのだ。例えばでかけ先の田舎の温泉宿に泊まったとしよう。それも季節は秋と仮定する。その宿は山奥にある秘湯といった塩梅で湯治をメインに過ごすのだろうが、料理もなかなか。秋といったらきのこ。そんな宿ではきっときのこ汁が提供されるのだろう。もしかしたら、和え物でもなめ茸が控えていて、夏に採れたオクラ料理も提供される可能性があってヒヤヒヤしてしまう。僕は夜中に宿のカップラーメンを食べる羽目になるのではないか。つまり、このような食材が苦手だと実生活で不具合が生じてしまう。アレルギーで食べられないわけでもなく、ただただ苦手なのだ。
もう一つ弊害がある。意外とこの手の食材を好む人が多いということだ。妻にしかり、実家の母もこの手の食材が大好物なのだ。一緒に暮らす人の食生活にも影響すると思うと多少は煩う。僕自身は、じゃがいも料理が好きだ。フライにしても美味、蒸しても煮ても美味だ。さて、そんな芋が嫌いな人が側にいたらどうだろうか。食べることも煩わしくなってしまうのかもしれない。僕自身が苦手なことでそれが家庭の食卓が負のスパイラルに陥ってしまうのは本意ではない。ある日急に克服できる類でもないので、どうか僕に気にせず思うがまま食べてほしいと切に願う。
色々考えながら書いていてもあの類の食材がなぜ苦手なのか言語化できずにいる。おそらく、それは「嫌い」とうイメージなのではないだろうかと無理やり結論づける。ただし、そのイメージを払拭するのは易しくない。曲がりなりにも三十数年もそれを続けてきたのだから。そんなきっかけが寅さんみたいにひょっこりと訪れるなんてことがあったら面白い。