ネクラはつらいよ 望郷篇

睡眠について語ること


 
 今日は四月並みの気温だそうだ。薄手のアウターを着て外に出かけても肌寒さは感じないため、春はすぐそこなのだろうかと感じずにはいられない。待ち遠しい反面、春は少し苦手だ。その季節は諺にもある通りとにかく眠いのだ。
件の季節は身体が、精神が睡眠を欲して仕方がなく、まるで睡眠ジャンキーのようだ。
 僕は寝ることが好きだ。若い頃は徹夜や夜ふかしをしてもなんとか翌日は持ちこたえられたが、今はそうはいかない。それについては、年齢も重ねたこともあるだろうが。経験や知見を重なることはできるが、反面失うこともややあると感じる。

 


 何事でもリセットするには睡眠が必要だ。特にここ数年眠りが浅くて閉口する。時間は十分にとっても夜中に目覚めたり、変な夢を見て疲れが取れる実感が無い。やはり、最も体調がリセットされるであろう時間は万全の状態で寝て八時間から十時間ほどの間だろうか。就寝は早めに越したことはない。許されるのであれば、十時過ぎには床につきウトウトしていつか訪れる睡魔の存在を身近に感じていたいものだ。

 


 よく深い眠りについて「泥のように眠る」と言われているが、語源についてはこうだ。中国では「泥(デイ)」と呼ばれる想像上の生き物が海の中で生活しているが、陸上にあがるとあまり活動的ではない。疲れ果てて眠りこける様からそう言われているそうだ。ほう、そんな想像上の生物がいるのか。語源とは調べてみるものだなと。調べる前にイメージしていたのは睡眠という行為が土が雨を含んで
泥になるさまを例えといたのだろうかと思っていた。

 

 


 睡眠のプロセスについて考えてみる。ちなみに僕はベット派だ。ベットに体重を預け、静かに瞼を閉じる。ベットに身体が沈み込み、次第に体重を感じなくなる。徐々に布団は体温を吸い、暖かく「ふわふわ」とした塩梅に仕上がってくる。瞼の裏ではクリオネや小魚のようなものがゆっくりと踊っているように見える。次第に匂いが薄くなり耳が遠くなってくるような気がする。その段階で意識はほとんど遠のいている。昔読んだ吉行淳之介の小説であった布団の国へ誘われている。この気持ちよさといったら無い。この段階で口を開く気力もない。身体が、体重が雨でゆっくりと染み出しているような感覚だ。おやすみなさい。

 


 世の中は日々進化している。

情報が常に更新され、それも手軽に手に入る環境下にいると目や脳がつねに酷使しているようだ。肉体的ではない、なんらかの酷使を常にしているような気がする。

睡眠はそれらから開放されている神聖な行為のような気がしてきた。

今日は早く寝よう。