【後編】【徒然日記】内田篤人選手引退に思いを寄せて
こんばんは。
昨日は内田選手引退に際して思い出を語りました。
ちょっと長くなったので後編をお送りします。笑
翌2007年シーズンの幕開け。
監督も、オズワルド・オリヴェイラ監督による新体制となりました。
内田選手は背番号変更し、前年の20番から自身の代名詞の"2"へ変更。
2006シーズンを以って退団した名良橋の背番号を受け継ぎました。(名良橋線選手のご指名だったとか)
背番号、ポジションともにレギュラーを獲得し順調にステップアップするシーズン。
しかしながら、捲土重来を期するシーズンの船出はそう易いものではありませんでした。
開幕から5試合勝ち星なし。
序盤戦は大ブレーキの展開でした。
6節の横浜FC戦でキャプテン柳沢選手のゴールで勝利して以降、序盤の不調を跳ね除けていきます。
1点差の接戦をものにしながら堅実に勝ち星を重ねる”らしさ”を取り戻していきます。
夏場は大一番の試合を落としたり、チームとして若さを感じる試合がありましたが
シーズン途中には、イタリアから小笠原選手が帰還します。
実力、精神的支柱の復帰はチームにさらなる勢いをもたらします。
特に終盤は勢いのままリーグ戦9連勝を飾りました。
上位チームの足踏みもあって、最終節にて首位に立つ。
”奇跡”の逆転優勝を達成しました。
その試合は現地観戦していたので今でもよく覚えています。
前節、首位浦和に土をつけて勝ち点差1差に迫った鹿島。
残すはカシマスタジアムでの最終節。
首位チームの結果によりますが、
浦和が負けて鹿島が勝つ状況で逆転優勝することができます。
(浦和が引きわけの場合は、大量得点で勝つことで得失点差を逆転できる)
そして、浦和の対戦相手は当時最速でJ2降格を決めた横浜FCでした。
(奇跡でも起きないと浦和の負けは期待できないかな、、、。)
他会場の善戦には期待しますが、まずは目の前の試合を落とさないことが大事。
最終節は全ての試合会場が同時刻にキックオフ。
優勝がかかっているカシマスタジアムも
ほぼ満員の最高の雰囲気で試合が始まりました。
シーズン終盤は特に1点差をものにする試合が多く、硬いゲームが多かったです。
特にディフェンス右サイドは内田、岩政の比較的若いコンビが担っていました。
ディフェンスラインの成熟なくしてここまでの展開はあり得ませんでした。
全盛期の鹿島の真髄はディフェンスラインにあり。
最終節までの硬いゲームを想定していましたが、ふたを開けると
まるで憑き物がとれたかのように、軽やかなゲーム。
ポンポンと思い通りにゲームが展開する。
シーズン最高の出来で危なげなく3-0で勝利しました。
こっちはやるべきことはやりきった。
さて、他会場の結果は?
試合は終わった?試合中?
スタジアムには満員の観客が収まったため
電波は滞り、他会場の結果は知る由もありませんでした。
オーロラビジョンに写し出されたのは、横浜FCvs浦和レッズ。ロスタイムは残り2分くらい。
スコアは…?
なんと!1-0で横浜FCがリードしている‼
スタジアムには自陣のゴール以上の歓声があがる。
すぐに歓声は収まり選手、スタッフ、サポーターで一心に他会場の結果を見守る。
一瞬、ピッチに目を向けると内田、岩政選手は膝をつき祈るように見ている。
このチームで優勝したい。
固唾をのんで見守る時間は、わずか2分もないのに恐ろしく長く感じました。
スクリーンの審判が時計に目を配る。
終了のホイッスル。
鹿島アントラーズ、01年以来のリーグ優勝。
Jリーグ史に刻まれる逆転劇。
そして、念願の通算10冠目のタイトルを獲得した。
これまでの重責から解放されたように号泣する選手、踊るスタッフ、抱き合うサポーターたち。
あとにも先にもあれほど感情を表に出した内田選手をみたのは初めてです。
あの状況で泣かない人もそうそういないですが。笑
インタビュー、優勝盾(シャーレ)ないままでの優勝セレモニー。
スタジアムはおそくまで興奮のるつぼでした。
その後、勢いのまま天皇杯を制し2008,2009年シーズンも優勝し当時前人未到の三連覇を達成。
追う側から追われる側のチームの変容の中心に内田選手がいました。
2010シーズンにドイツへ移籍するまで、主力としてプレー。
順調にスタメン奪取し、日本人最多の欧州チャンピオンズリーグ出場など華々しい活躍を遂げる。
2014シーズン終盤より、膝の怪我に悩まされるがそれを圧しての2014ワールドカップ出場。
チームとしては残念な結果に終わりましたが、選手生命を賭して臨んだ内田選手のプレーはまさに
ワールドクラスでした。鹿島の誇りです。
ワールドカップ終了後は怪我の為、ほとんど試合に出場できない期間が続きます。
そして、鹿島イズムの後継者として2018年に日本へカムバック。
”黄金期”の中心にいた小笠原選手をはじめとした背中で語れる先輩として。
”あの頃”の若手選手がこんなに頼もしくなるなんて。
怪我がちで試合出場時間は限られていたもの、
ピッチ内外で経験に裏打ちされた頼もしいプレイヤーでした。
そして同2018年、アジアタイトルを置き土産に小笠原満男選手は現役から退きました。
まるで師弟関係のような二人の選手としての競演は2018年かぎりでした。
翌年より内田選手はキャプテンとしてチームを支えます。
ただ負傷も相まってリーグ10試合の出場に留まりました。
もう、あの頃のスタメンで現役は内田選手、曽ヶ端選手だけとなりましたが、
一時代を作り上げたプレイヤーの内田選手も引退。
時代の区切りを感じずにはいられません。
それくらい偉大な選手でした。
先日のラスとマッチでは実力の高さが垣間見えるプレーを披露していました。
引退のインタビューはクールに熱く語っていました。
おつかれさまでした。
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